尺間神社&織物こぼれ話⑦
2020年 05月 27日
前回、長い階段に気後れして
あきらめた尺間神社でしたが
23日の土曜日に家族の協力を得て(笑)
チャレンジしてみました。
狭い敷石の階段。
崩れている処もあり
足場はかなり悪かったです。
高齢の方には
ちょっとお薦め出来ない険しさです。
手すりも途中で無くなるので
それを補うためにロープが張ってあり
しっかり掴みながらのぼること235段(たぶん)。
野イチゴの生える
緩やかな傾斜の小径を抜けると
鳥居の先に二本の立派な樹木。
さらに奥に尺間神社が表れました。
静かな佇まいです。
二本の木はおそらく御神木でしょう。
厳かな感じです。
心地良い木漏れ日と風。
上がった甲斐がありました。
帰路、下り中ほどで靴紐が解け
下向きに撮った画像です。
急な勾配を感じていただけるかな?
◇本日のおおいた織物こぼれ話
ネットの古書店で見つけた
『民芸手帳』(通巻第90号)昭和40年発行
今までで一番古い資料になりました。
特集・木綿織物の一つとして
お目当ての
大分県の日代木綿のレポートがありました。
☆『日代木綿探訪』(ひじりもめんたんぼう)
筆者は橋迫春樹氏。内容を要約してみます。
昭和40年に外村吉之助によって
熊本に国際民藝館が設立される。
外村は九州各地の工芸蒐集活動を精力的に行う。
筆者は外村に同行して大分県、日代を訪問。
当時すでに日代村は
津久見市(つくみし)に編入されて存在せず。
日代木綿が発足したのは大正10年ごろ。
村長、石田才一の着想に基づくもので
彼の情熱に動かされ村を上げての機織りとなった。
初めは「高機」のみによって織られていたが
量産を目指して「足踏機」(半自動織機?)を加え
次第に盛んとなった。
最盛時は「高機」70台「足踏機」30台からなり
農繁期の仕事のできないことを除いても
年間35000反に達したという。
大正14年の第1回品評会以来連続入賞し、
県知事表彰まで受けた小川陸治、チズ夫妻は
感無量の様子であった。
このように
日代木綿の活況が伺われる記述がありました。
(次回に続く)
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by teorimonogatari
| 2020-05-27 13:49
| おおいた織物こぼれ話
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